こんにちは、最近肩首がガッチガチでたまに吐きそうな兎々梨です。
今回は表題の通り、100枚描けば上手くなるのか?についてのお話です。
「絵が上手くなるためにはどうしたら良いか?」という問いに対しては、「沢山描け」という返答が返ってきがちです。
絵を始めたばかりの人や伸び悩んでいる人からすると、途方もなくてため息をつきたくなるかもしれません。
しかしこの「沢山描け」って、本当なのでしょうか?
沢山って曖昧な表現ですよね。
ただ数をこなせばいいのか、それとも他にすべきことがあるのか、もっと具体的に教えてくれよと言いたくなるところです。
そんな人に向けて、お絵描き歴十数年の私から1つの結論を提示します。
根拠となるような人生経験も紹介するので、少しでも参考になりましたら幸いです。
結論:半分正解
早速結論ですが、「沢山描け」は半分正解です。
「お前も曖昧じゃねえか!!!」と思った方、すみません。ちゃんと理由があります。
確かに、上手い人は沢山描いています。それこそ描かない人から見たら途方もない量を。これは揺るがぬ事実です。
ただ、”半分”と付けたのは因果関係が逆だと思ったからです。
100枚描けば上手くなるのではなく、絵の描き方を研究していたらいつの間にか100枚に到達していた。
こうだと思います。
描いた量自体はあくまで結果であり、重要なのはインプットとアウトプットのハッピーセット(?)をいくつ味わってきたかです。
じゃあ具体的にどんなインプット・アウトプットをすればいいんだよ、ということで私の画力向上エピソードを3つ紹介していきます。
経験①「”つむじ”ってどこ?」
専門学校の体験授業での事です。
お題に沿ってキャラクター(人間)を描くというものだったのですが、描いた絵を講師に見せたら「つむじってどこだと思う?」と聞かれました。
ここで兎々梨、気づきます。
自分が今まで、つむじを意識して描いていなかったことに。
好きなところから前髪をはやしてたんです。
他人から絵に関する指摘をされることが少なかったので、当時は結構ダメージを受けましたね。これでも自分は描ける方の部類だと思っていたので。これでも。
完全に天狗になっていた訳ではありませんが、いわゆるダニング=クルーガー効果の馬鹿の山にいたのかなと。
ダニング=クルーガー効果とは
1999年に報告された仮説で、絵の分野で例えると「そこまで絵が上手くない人ほど自分の腕を過大評価する傾向がある」というものらしいです。
大変耳に痛い話ですね。手心のての字もない。
まあ絵にしろ何にしろ、自分や自作の物を客観視することって難しいので自然なことかなとも思うのですが、しかしこのグラフの下降部分を見て「やけに身に覚えがあるな……」と思ったので紹介しました。
こうして”つむじ”をインプットしたことにより、自分がいかに人間のガワだけを見て描いていたかということ、それが分かっていても面倒で目を逸らしてきたことを自覚することとなりました。
馬鹿の山から絶望の谷に移動しましたね(グラフ間違えて地獄にしてました)。
以降に描く絵は全てつむじを意識しました。
今思えば、このターニングポイントからが本当の画力向上スタートだったような気がします。
経験②「人体には法則がある」
体験授業をやった所とは別の専門学校に入り、そこで学んだことです。
体験授業で「自分がいかに人間のガワだけを見て描いていたか」ということに気づいたわけですが、ここで人間の中身、つまり構造について学ぶ機会が訪れました。
その内容については、こちらの記事で解説しています。
また、この学校では授業の一環で全身の立ち絵を描くことが多かったため、インプットとアウトプットを結構コンスタントにやっていました。
専門学校に入る直前に経験①も経ているので、それも合わさってこの期間にかなり画力が上がった気がします。
経験③「趣味の遊びで描きまくる」
専門学校を卒業し、社会人になってからの事です。
友人が誘ってくれたことをきっかけに、TRPGで遊ぶようになりました。それまでプレイ動画は見たことがありましたが、まさか自分がプレイヤーとしてがっつり遊べる日が来るとは思わず(身近にTRPGプレイヤーがほぼ居なかったので)、ご縁に感謝です。
さて、TRPGはシナリオとキャラクターシートというものがあれば遊べるゲームですが、そこに加えてキャラクターの立ち絵を用意するという楽しみ方もあります。
※もちろん立ち絵は必須ではないので、あくまで個人の楽しみ方です。
ええもう、描きますよ。ノリノリで。時間がある時は新しいキャラクターを作るたびに全身立ち絵を全力で描いてました。
その数、一年で約10体。中には表情差分や衣装差分まで描いたものも。
そして1年経った頃、最古と最新の立ち絵を見比べてビビりました。
なんというか、絵の情報量がもう全然違うんです。
一応補足すると情報量が多いから上手いというわけではなく、最古の絵はそれはそれで1つの表現だと思っています。
しかし、だからこそこの一年で表現の幅を増やせていたことに驚きました。
思い返せば確かにこの一年も、インプットとアウトプットが山盛りでした。
キャラクターのために実際の服を撮って皺を真似したり、かっこいい髪型を調べてアレンジしたり。脳内のキャラクター像を理想通りに現実に描き起こしたいがために、「知る・描く」の両方を自ずとバランス良くやっていました。
描き続けることの凄さと、そして楽しいっていう原動力は強いなということを改めて思い知りました。
ありがとう友人、ありがとうTRPG。
100枚描くより大変なこと
数字だけ見るとやはり途方もないですが、本当に途方もないのはつめ込める知識の多さです。
私はつむじをきっかけに人体の構造に向き合い始めた訳ですが、比率を知って、骨格の描き分けを知って、今やっと筋肉の形に向き合うところまで来ました。
知ることが多すぎて、登る階段は一段ずつでやっとです。
一気に登ろうったってそんな天才的な跳躍は私には出来ません。
そんなこんなで、描くために必要な知識を調べて絵に都度反映していけば100枚はいつの間にか超えると思います。
ちなみに私が本当に100枚も描いてるのかというと、学生時代と仕事を合わせて少なくとも300枚以上は描いてると思います。主に自作漫画と動画用カットイラスト、有償依頼です。
この300枚はそれぞれ密度も種類もバラバラですが、インプット・アウトプットの面ではかなり優秀だった300枚です。
そしてこれはページ数など確実に計算できるものに絞っての数なので、人生のトータルはもう神のみぞ知る状態です。
ちょっと補足:絵に正解はない
この記事は画力の向上にフォーカスしていますが、大前提として絵に正解不正解もありません。
技術という見方では上手い下手は存在しますが、逆にその見方が必要なければ上手い下手もありません。
別につむじを無視したっていいんです。絵柄によってはそういう描き方もありますし、それが味にもなります。
自分の描きたいものが描きたいように描けていれば、それでOKです。
まとめ
「重要なのは枚数ではなく、インプットとアウトプットのハッピーセット(?)をいくつ味わってきたか」
「100枚描けば上手くなるのではなく、絵の描き方を研究していたらいつの間にか100枚に到達していた。」
この意味、なんとなく伝わりましたでしょうか。
詰め込むだけでは手が覚えないし、ただ描くだけではアップデートされないのだと思います。
沢山描くことにプレッシャーを感じる必要はない
自分が描きたいものを描くために必要な知識を調べ(インプット)、それを自分の腕にも慣れさせていく(アウトプット)。これが上達のコツであり方法だと思います。
それが結果的に10枚だろうが100枚だろうが、数字はさほど関係ありません。
少しでも前に進めたならばそれは偉業ですから、成功体験として積み重ねていってくださいね。
もっと具体的な上達のコツや、行き詰まった時の対処法はこちらの記事でも解説しています。
それでは、ここまでお付き合い頂きありがとうございました!
こんな内容を書いていながら、私もまだまだ啓蒙の坂を登っている途中です。
しかも坂道にも小さな山や谷があって、ひとつ乗り越えてはまた世界の広さを知るみたいなことを延々と続けています。
でも、それが醍醐味なのだと思います。
絵を描く人、これから挑戦する人に少しでも役立つ情報をお届けできてましたら幸いです!
ちなみにずっと絵を描くと容易く身体ボロボロになるので、ストレッチなどしっかり目にやることをお勧めします!!整体通いになりますよ!!!!!(経験者)
●今日の一枚●
知人のTRPG探索者さん